世界の存在性

■1.世界の存在は、対象/存在者の存在とは異なる。
−世界は、結局のところ、つねに現存するものであるが、手前に存在するものではない。
 
■2.世界は、意識の能動性に先立って、つねにすでに自らを意識させる。
世界は常にすでに(流れつつ立ち留まる時間のなかで)場として開かれている。
その場としての世界から、対象/存在者が際立ってくる。
−それ[世界という包括的な地平]は最も先行的な開けであり、それのなかで、われわれは、われわれ自身に出会い、周囲の諸事情に出会う。
 
■3.世界は、空間-時間そのものである。
−空間を与えること、時間を許すことが、世界の本質である。
−事物は、その形態、その位置、その持続をもっている。
しかるに、空間を与え、空間を許すものとしての世界は、事物にその空間を与え、その時間を許す。
世界は、すべての存在者に場所と滞留を許す。
世界は、存在者すべての「原根拠」である。
 
■4.客観的な空間−時間は、世界の(原初的な)空間と時間から構成されたものである。
−『無限の』空間は、世界空間ではなく、意味形成体である。
 
■5.客観的な空間−時間のなかに位置づけられることによって、対象/存在者は、本来の意味で対象/存在者となることができる。
−空間と時間のなかで、すべての現実的なものに、現実存在の尺度が割り当てられる。
人間の側での測定は、単なる追測定にすぎない。
−このように割り当てる限り、世界は、世界のなかで区画されたものとしてもちこたえ、時間的なものとして時続するものすべてにとっての、尺度である。
 
■6.ただし、世界の空間性とりも時間性が優先する。
−空間は、時間のひとつの次元である。
 
■7.世界そのものは、対象/存在者に注視が向かえば向かうほど、覆い隠されていく(世界は隠蔽される)
−世界の隠蔽には二つの事柄が絡んでいる。
人間/意識は、なじみ深い世界を忘却している。
「世界は、われわれに馴染み深いとともに忘却されている。故郷的であるとともに疎遠である。」
「存在者に関わり拘束されることによって、われわれは、すべての存在者以上に存在しているもの、われわれに蹲座イエスたをはじめて送りつけるものに、気をつかわなくなる。」
 
−しかし、こういうことが起こるのは、世界そのものが、存在者を際立たせることによって、おのれを隠してしまうからである。
「世界がみずから退去する」
「世界が、それが、内世界的なもの〔存在者/事物〕に場を開くという仕方で、自らを覆い隠す」
「世界は諸事物が目立つようになることによって、〔われわれのまなざしから〕滑り去る」
 
■8.世界は唯一的である。
−世界が唯一的である。
「世界が端的にひとつのものである。」
 
■9.事物から出発すると、世界が(志向的な)外部地平として現れる。
世界は、諸地平の地平ということになる。
しかし、これは世界の根源的な姿ではない。
世界は根源的には、志向性に先立って開かれる場である。
−世界は「すべての境域の境域である」が、これを外部地平として解してはならない。
現象学の志向性分析は、存在論的には未解明にとどまっている」
「地平現象は、世界を理解させないし、また、世界の現成する本質の洞察にもとづく解明こそが必要であることを理解させない」