■「哲学」と「倫理」入門 ―哲学と倫理に対する絶望―

「真理など存在しない」
このような過去においては最も恥ずべく無価値なこととされていた真理の放棄は、我々の時代によって精神の最高の勝利にまで高めあげられている。
理性に対する絶望は、はじめのうちはまだ苦痛と悲しみをともなっていたが、やがて宗教的及び倫理的無思慮が、次には自ら啓蒙と講する皮相浅薄な知識(カント哲学)が、平気で自己の無力を告白し、より高い闘心を完全に忘れさせることに自慢の種を見出すにいたった。
 
そして最後に、いわゆる批判哲学(カント)が、永遠なもの、神的なものについては何も認識できないということを”証明した”と主張することによって
永遠なもの、及び、神的なものに関する無知を安心させたのである。
批判哲学(カント)こそが、あらゆる知的努力の目標であり結果であると称した、
この無知の学説は、希薄な知識と性格によって喜び迎え入れられ、好んで利用された。
真理を認識しようとせず、ただ現象的なもの、時間的なもの、偶然的なもの、一口に言えば、”空虚なもの”のみを認識しようとするこのような空虚が、哲学において幅をきかせており、
”理性的認識”に対するこのような断念が、これほどまでの流行に達するほど、ドイツの哲学は酷い状態に陥っている。
 ヘーゲル『小論理学』序文