真の現象学は「分析」を生み出す、「論証」を生み出しはしない

真の現象学は「分析」を生み出す、「論証」を生み出しはしない

現象学は「分析のための方法」で「論証」(なぜなら)は問題にしない。
分析哲学のように、「諸命題に賛成するか反対するための論証」を組み立てることはしない。
 
もし、「論証」をしても、それは消極的な目的である。(間違っていると見なす立場に反論するという目的のためにするのである。)
これは、事象そのものに対する反省的で分析的な探究を補完するものだが、その探究と同じものではない。

「論証」を大言壮語する現象学者がいれば、それは擬似現象学、擬似現象学者だと見なせ!