「形而上学は存在論に先立つ」 ― レヴィナス

≪私≫が<他者>を迎え入れることは倫理として生起する。
(具体的には、<他>によって<同>が問いただされることとして、倫理は生起する)
 
倫理が知にぞくする批判的な本質を実現するのである。
こうして、批判が独断論に先行するように、形而上学存在論に先立つことになる。

サルトルの有名な「実存は本質に先立つ」の真逆?