「芸術は他者のためのみにある、そして、他者によってのみ存在する。」 ― サルトル

スターリンは読者に対して「物語への参加」「読者は物語に参加せよ!」と呼びかけた。
それに対してサルトルは、「物語の参加」「物語は読者に参加せよ!」と呼びかけた。
 
「物語の創作」は、読者に求められる創造性を代行することである。
サルトルは、この関係を「契約」と呼んでいる。
 
以下、サルトルの文章を引用する。

創造行為は、作品製作にあっては、単に一つの不完全な抽象的な契機にすぎない。
仮に作者だけしかいないとすれば、作者は望みのままに書くことができるであろうか?
作品は決して対象として生まれでることはないであろうし、作者は筆をおくか絶望するほかないであろう。
しかし、書く過程は、弁証法的相関体としての読む過程を包摂しており、この二つの相互に関連した行為は、ふたりの異なった行為をする人間を必要とする。
作者と読者との一致した努力が、精神の作品となる具体的かつ想像上の対象を成立させる。
芸術は他者のためのみにある、そして、他者によってのみ存在する。

あと「他者のための芸術」ではないからなのか、流行(?)のシュールレアリスム私小説を批判している。
ちょっとサルトルを読み直してみたいと思う