「理性に対する絶望」 ―カントのファンのせいでドイツ哲学はひどい状態に陥っている―ヘーゲル

いわゆる批判哲学(カント)が、永遠なもの、神的なものについては何も認識できないということを”証明した”と主張することによって永遠なもの、及び、神的なものに関する無知を安心させたのである。
批判哲学(カント)こそが、あらゆる知的努力の目標であり結果であると称した、この無知の学説は、希薄な知識と性格によって喜び迎え入れられ、好んで利用された。
 
真理を認識しようとせず、ただ現象的なもの、時間的なもの、偶然的なもの、一口に言えば、”空虚なもの”のみを認識しようとするこのような空虚が、哲学において幅をきかせており、
”理性的認識”に対するこのような断念が、これほどまでの流行に達するほど、ドイツの哲学はひどい状態に陥っている。